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昔話の道しるべ 小澤俊夫の昔話エッセイ GUIDEPOST FOR FOLKTALES

第8回 昔話は子どもの成長を語る
 昔話の独特の語り口は誰かが一人で考え出したものではなく、たくさんの庶民が、かわいい孫や子どもに分かりやすく語ってやろうと思っているうちに、いつのまにか磨かれてできてきた語り口です。だから、語り口自体が貴重な文化財といえます(語り口について興味のある方は、拙著『昔語の話法』福音館書店刊を読んでください)。
 目に見える文化財の場合には、それが壊れていれば誰でもすぐに分かりますが、昔語は目に見えないので壊れていてもなかなか分かりません。そのために、昔話の語り口を壊した絵本や再話本があっても、そのことに気付かずに子どもに読み聞かせたり、買い与えたりしてしまうことになります。
 私は、それは残念なことだと思います。文化財は正しい姿で伝えるべきだと思うからです。残念だと思う理由はもう一つあります。昔語は、子どもが成長するとはどういうことかについて大切なメッセージを発信しているのですが、そのメッセージは昔話の独特な語り口と表裏一体だからです。語り口が壊れたら大切なメッセージも壊れてしまうのです。
 今回は、そのメッセージについて私の考えるところを書いてみたいと思います。


昔話は、子どもが変化しながら成長する姿を語る

 その典型的な例は、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』だと思います。グレーテルという女の子は、はじめのうちとても泣き虫な子です。森へつれていかれる途中、帰りの道しるべにとヘンゼルはパンをちぎって置いてきました。ところが帰りには、鳥に食べられてしまっていて、パンはありません。すると、グレーテルはもう泣いてしまうのです。ところがどうでしょう。話の終わりの方で、お菓子の家に閉じ込められて、ヘンゼルは馬小屋に入れられて動けなくなります。その時グレーテルは魔女に命令されます。「このパン焼き釜が十分熱くなったかどうか、お前、中に入って見てこい」。するとグレーテルは「私、どうやったらいいか分からないわ。やって見せててちょうだい」と言って魔女をパン焼き釜の中ヘドンと突っ込むのです。
 この時のグレーテルの姿は、実に凛々しいではありませんか。決然たる姿の女の子になっています。はじめの頃の泣き虫な女の子と比べると、そこには大きな段差があることが分かります。昔語はこのような段差を語ることが多いのです。
 現実の人生においても、子どもは変化しながら成長していくものです。しかし、現実の人生における変化は、長い時間をかけてゆっくりゆっくり起きます。三年経ってみたら、「この頃しっかりしてきたねえ」ということはあるでしょう。毎日一緒に暮らしている親や先生には、なかなか認識しにくい微妙な変化を、昔話は短いストーリーにして、はっきりした段差をつけて示していると言えると思います。
 昔語は子どもに聞かせる語だから、何か道徳教訓的な意味があるに違いないと思われがちです。確かにそういう語もありますが、子どもや若者が主人公の場合、昔話はその主人公がいろいろに変化しながら成長する姿を語ることを好んでいます。
UBBELOHDE:のらくらものの天国の話
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