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昔話の道しるべ 小澤俊夫の昔話エッセイ GUIDEPOST FOR FOLKTALES

第7回 昔話は肉体などを図形的に語る
 日本の「馬方やまんば」という昔話では、やまんばに「その馬の脚一本よこせ」と言われると、馬方は馬の脚を一本切って後ろに投げ、三本脚の馬に乗って逃げていきます。「もう一本」と言われると、もう一本切って投げ与え、二本脚の馬に乗って逃げていきます(絵本『うまかたやまんば』おざわとしお・文/赤羽末吉・画、福音館書店)。このとき、馬の性能はまったく落ちず、四本脚のときと同じに駆けていくのです。
 昔話としてすばらしいファンタジーの場面です。出来事を決して写実的には語らないという昔話の性質がよく表れています。馬の脚をどうやって切ったか、馬はあばれたのか、血は流れたのかなど、現実の中であれば起きるであろうようなことは、ひとことも語られていないのです。この語り口は、第三回のとき、「中身を抜いて語る」と説明したとおりです。
 しかし、中身を抜いて語るという法則だけでは、三本脚になっても崩れずに走れたということは説明できません。ここは少しむずかしい理屈なので、皆さん、頭の中に切紙細工で馬の姿を作ってください。この馬の姿は図形です。その脚を一本、はさみで切り取ってください。三本になったけれど、馬の形全体は崩れていませんね。だから走ることができたのです。もし、馬の姿が、骨も肉も量感もあるあの馬として語られていると、脚を切ったとき出血多量で、馬は崩れ落ちるでしょう。そう語れば走ることはできません。
 このような語り口を「図形的に語る」、あるいは「切紙細工的に語る」といいます。この語を聞いて、場面を思い浮かべるとき、馬の姿が紙になっているという意味ではありません。まるで切紙細工の馬の脚を切るように語っているという意味です。
 グリム童語「自雪姫」にも同じ語り口があります。自雪姫は一回目、女王に胸をひもでしめられて倒れます。ところが夕方になって帰ってきたこびとたちがひもを切ると生き返ります。息がとまって死んでいたのではなく、姫の美しい姿、美しい図形をひもがじゃましていたから死んでいた。それを除いたら図形が回復したので、生き返ったというわけです。
 二回目では、毒のくしを髪の毛から抜くと生き返ります。毒はきいていなかったということになります。姫の姿=図形をくしが邪魔していた。そのくしを除いたらもとの図形が回復して生き返ったというわけです。三回目も同じで、喉にひっかかっていた毒のりんごがはずれて、喉のもとの形=図形が回復したから生き返ったということなのです。
 「馬方やまんば」と「白雪姫」は全く別な物語ですし、日本とヨーロッパです。しかも、約二〇〇年の差があります。それなのに同じ語り口をもっているということは驚くべきことだと思います。口で伝えるということから生まれた、人類共通の語り口だと思います。

UBBELOHDE:のらくらものの天国の話
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