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昔話の道しるべ 小澤俊夫の昔話エッセイ GUIDEPOST FOR FOLKTALES

第35回 語るとき絵が見える
 岩手県遠野で一生を送られた語り手、鈴木サツさんは、父親からたくさんの昔話を聞いて育ったのですが、その頃のことを回想して、こう述べています。
 「父は、じっさい話がうまかったんだねえ。こうやって百姓は仕事教えるときだって、昔話しゃべるときだって、ただわかりやすく話するだけじゃなくて、それがすっかり絵に見えるような話する人だったから、私には絵に見えたから、上手だったんだねえ。だからね、いま私が昔話を語るときも、絵が、こう、見えるような感じがするもの。そうだよ、父が語っているとき私に見えた絵が、こんど私が語るとき、その絵が見えるもの。走っていくときは走っていくなり、追いかけられていくときは追いかけられるなり、絵に見えるもの。父の話は、絵で頭の中さ入っているのよ」(『鈴木サツ全昔話集と語り』福音館書店)
 これが語りの極意というものでしょう。言葉で語られた場面が、聞き手の脳裏で絵になって見える。それが実現するためには、語りそのものが、この連載で述べてきたような、簡潔な、耳で聞きやすい語り口をもっていることが必要です(文体と言い換えてもいいのですが、文体と言うと、昔話が書かれて伝えられてきたような錯覚を与えるので、私は、語り口という言葉を使います)。
 そして聞き手の方は、語り手に対して信頼を寄せていて、安心して聞いていられることが必要です。この話を聞いたら、あとで質問されたり、感想文を書かせられたりするんじゃないか、ということを気にしていたら、脳裏に絵を描いてみることはできません。
 サツさんのこの言葉からは、サツさんが、父親の話を心から楽しんで聞いていたことがわかります。それだからこそ、サツさんは、父親の話を一生忘れなかったのです。忘れないどころか、それはサツさんの人生を通じての大きな支えでした。
 言葉に担われて耳から入る物語が、脳裏で絵になるためには、一種の翻訳ルートが必要です。そのルートが磨かれている聞き手は、聞きながら絵を楽しむことができるから、お話を楽しめます。ところが、そのルートが磨かれていない聞き手は、絵が見えないので楽しむことができません。
 お語を聞きなれている子と聞きなれていない子の違いは、ここに現れてきます。だから、子どもは小さいときから、お語を聞きなれることが大切なのです。しかも、ただただお話を楽しんで聞けばいい、そういう聞き方で聞くことが大切なのです。
 楽しんで聞けるためには、お話の語り口が簡潔で、聞きやすいものでなければなりません(語り口については、この連載の中で何度も解説してきました)。そして、それを読む読み方も、おおげさでなく、しかもいいテンポで、いいリズムでなくてはなりません。こういう条件で、子どもたちにお話を聞かせて、聞く耳を育てていただきたいと思います。





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