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昔話の道しるべ 小澤俊夫の昔話エッセイ GUIDEPOST FOR FOLKTALES

第34回 教室で語るには
 昔話を語り聞かせることの大切さについて講演をすると、私はよく質問を受けます。「語りたいと思うのですが、上手な方々のように声色も使えないし、手振りや身振りもできないのですが、どうしたらいいでしょうか」
 私はいつも答えます。「俳優さんのまねをする必要はまったくありません。お話をしっかり覚えれば、あとはそれを普通に語ってやれぱいいのです」。
 昔話をどう語るかという問題についても、私は伝承の語り手たちのことを思い出します。全国でずいぷん大勢の語り手たちから話を聞きましたが、みんな、自然に、自分の普段の声で語っていました。
 もちろん、娘がしゃべるときと、やまんばがしゃべるときとでは自然に違います。しかし、それは自然なことです。わざと作った声色で言えるものではありません。子どもがしゃべるときには、自然に子どもらしい声になるでしょう。自然な範囲でいいのです。
 身振り、手振りについても同じです。話の流れによって、自然な範囲で動かすのであって、決して演劇的に動かすのではありません。それで十分に聞き手のこころに訴えることができるのです。まったく手を動かさない人もいました。逆に、わりに動かす人もいました。それは語り手の性質によるのでしょう。いずれにしても、その人にとって自然な動きなのです。
 アメリカでアメリカ人の語るのを見てきて、「向こうでは大きな身振り、手振りで語ってましたよ。ああでなきゃいけないんじゃないの」と言う人がいます。これは、基本的な大前提を見落とした意見です。アメリカ人と日本人とでは、日常会語においても動作が違うではありませんか。肩をすくめてみたり、両の手を大げさに広げたりします。挨拶にしても、アメリカ人は、日常的に、抱き合ってキスしたり、ほおずりしたりしますが、日本人は普通にはしません。動作は、それぞれの民族の文化や風習によって規定されているものです。よその民族がどうしているかでなく、日本の伝承的語り手たちがどう語ってきたか、から学ぶべきだと思うのです。
 俳優さんのようにうまくできなければ、と言う人もいますが、昔話やお話の語り手は、役者ではありません。普通の親であったり、教師であるだけです。その話を誠実に子どもに届けることが大切なのだと思います。語り手は、黒子としてお話を支えるものなのです。
 語り手の中には、自分の語りに過度に感情移入して、自分自身が大変感動していることを表面に現してしまう人もいます。涙を流しながら語る人までいます。これは一見熱心には見えますが、それは自己陶酔の状態であり、きつい言葉で言えば自己満足に過ぎません。聞き手からすれば、涙なんか流してないでちゃんと語ってくれということになります。お話をきちんと伝えるという語り手の責任を放棄していることになるし、聞き手の関心が語り手の涙のほうに向いてしまって、肝心のお話は耳を通り過ぎていってしまいます。
 以上述べたことは、先生方が語るときに参考にしていただきたいし、学校に招いた語り手が、どのように語るか、先生方にはきちんと見定めていただきたいと思います。そして、子どもたちのために、よい語り手を見つけていただきたいものです。




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