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昔話の道しるべ 小澤俊夫の昔話エッセイ GUIDEPOST FOR FOLKTALES

第31回 かしこいモリーの評価(3)
 前回は、イギリスの昔話「かしこいモリー」が子どもたちに人気がある理由を、その独特な語り口から分析してみました。今回は話の内容から考えてみます。
 この問題を考えるとき、前提として理解しておかなければならないことが二つあります。一つは、昔語は空想物語であるということです。ファンタジーの物語なのです。つまり、合理的理解を超えたところに、その世界が成り立っているということです。
 もう一つは、子どもはお話や物語を聞いたり読んだりするとき、自分を主人公に同化してそれを受け入れているということです。おとなでも、ある程度は常に自分を主人公に同化して読むものですが。
 さて、主人公モリーは二人の姉妹とともに森の中へ捨てられます。そして真っ暗な森の中をさまよっていくと、明かりが一つ見え、その明かりを頼りにいくと家がありました。冒頭のこの部分で、聞き手である子どもは強く引き付けられてしまいます。親に捨てられたことへの恐れ、不安、暗闇への恐れ。
 世の中のことをまだ知らない子どもたちは、世の中に対して漠然とした不安をもち、こわさを感じています。毎日の生活の中で、この人は安心できるのかな、この人はこわい人なのかなと吟味しながら生きているのです。自分はこの人に愛されているのかしら、それともこの人から何か怖いことをされるのではないかしらと、敏感に触覚を働かせて生きているものです(触覚を働かせた結果、安心できる人、愛してくれている人を身の回りにたくさん見つけた子は幸せです)。そういう子どもにとって、この冒頭の設定は、白分がもっている漠然とした不安と怖さを具体化したものですから、強く引き付けられるのです。
 モリーは、人食い巨人の家に泊めてもらうと、夜中に人食い巨人が仕掛けた目印を逆にして、巨人に自分の娘を殺させ、逃走します。この部分がしばしば残酷だと批判されますが、モリーにしてみれば、こうしなければ生き延びる可能性はないのです。極限状況のなかでしたことです。主人公と同一化して話を受け入れている子どもにとっては、これはなんら非難すべき行為ではありません。むしろ、うまくやった!というところです。
 やっと森から抜け出して宮殿にたどりついたモリーですが、今度は、王様からむずかしい課題を与えられます。せっかく人食い巨人の家から逃走してきたモリーに、再び巨人の家に戻って、刀、財布、指輪を取ってこいと命令した王様がよくない、という意見もあります。しかしこれはファンタジー物語ですから、そのような現実的批判は全く的外れなのです。ここで重要なのは、ファンタジーの中で子どもの心の成長を語るということです。
 王様から課題を与えられたとき、モリーは「やってみます」ときっぱり宣言します。
 これは聞き手である子どもたちの心に強く響くでしょう。こわさ、難しさに決然と立ち向かっていく少女の言葉は、どんなに聞き手たちを励ますことでしょう。「そうだ、ぼくも、わたしも、やってみなくちゃ!」
 何事も合理的、教育的に考えるおとなから見ればとんでもないお話かもしれませんが、こうして「かしこいモリー」は子どもたちを励ましてきたし、今も励ましているのです。


UBBELOHDE:のらくらものの天国の話
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