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昔話の道しるべ 小澤俊夫の昔話エッセイ GUIDEPOST FOR FOLKTALES

第3回 昔話は極端に語る、だが、リアルには語らない

 「白雪姫」に登場するあの女王は、自分が世界中で一番美しくないと気が収まりません。そこで、魔法の鏡にたずねます。
 「鏡よ、鏡。この国で一番美しいのは誰?」
 「女王さま、この国で一番美しいのはあなたです。けれども、自雪姫はあなたより千倍も美しい」
 これはずいぶん極端な言い方です。女王自身この国では一番美しいのです。それだけでも極端なのに、「白雪姫はあなたより千倍も美しい」と言うのです。昔話は、このように極端な表現を好みます。
昔話が極端な表現を好むということは、昔話を読めば誰でも気づくことでしょう。
 ところが、極端には語るけれど、その実態は語らない、ということです。極端な様子を、リアルには語らないのです。、千倍も美しいと言うが、どこがどう美しいのか。それはひと言も言っていません。これが理解されていないために、昔語には残酷な場面が多いという意見が出てくるわけです。
昔話は、人間が生きていくときに体験することがすべて語られています。人間は生命を維持するために、ほかの動物や植物の生命を奪っています。そこには、どうしても残酷性があります。昔話はその現実を、正直に語っているのです。しかし、けっしてリアルには語りません。この点が、近頃もてはやされているグリム童話の恐さを強調した本では、まったく見落とされています。リアルに語らないことによって、音話は身軽さとでもいうべき性質を獲得しています。澄明に近いような、軽やかな性質を獲得しているのです。だから、聞く人、あるいは読む人は、安んじて聞いたり、読んだりできるのです。
 昔話は、澄明な軽やかな物語となって、ゴールに向かって速いテンポで進んでいきます。耳で聞くお話ですから、速いテンポで進むことが大切なのです。一つの場面をリアルに描こうとして、たくさんの言葉を使うと、重くなるしテンポは遅くなります。
 実態を抜いて、千倍も美しい、とだけ語ることは、もう一つ大切な効果をもっています。つまり、美しさの実態が語られていないために、聞き手は、自分の頭の中で勝手に美しさを想像できるというメリットがあるのです。実態を抜いた語り手は、聞き手に想像の自由をたくさん保証している、と言えます。
 逆を考えてみるとよくわかります。もし、グリム兄弟が美しさの実態を当時のドイツのファッションに従って具体的に述べていたら、二〇〇年経った今では、古くさくて読めないでしょう。ところが、千倍も美しいとだけ書いておいてくれたので、二〇〇年経っても世界中の子どもたちが、それを自由に想像して楽しめるというわけです。


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