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昔話の道しるべ 小澤俊夫の昔話エッセイ GUIDEPOST FOR FOLKTALES

第29回 かしこいモリーの評価
  イギリスの昔話「かしこいモリー」は、現在の日本で、語り手たちによってしばしぱ語られています。子どもたちの間でも非常に人気のあるお話です(そのあらすじは前号に書きました)。ところが近頃よく、このお謡の
主人公モリーへの批判を耳にします。モリーは、はじめに食べ物を恵んでくれたり、夫である人食い巨人に対して「この子たちに手を出すんじゃないよ」と言ってモリーたちを守ってくれたおばさんを、あとでだまして袋に入れ、ひどい目にあわせている。このような恩知らずな子の話は、教育上よくない。子どもに聞かせるには適当でない。こういう批判です。
 この問題をどう考えたらいいのでしょうか。私は長年、昔話研究に携わってきたのですが、このような批判は、昔話というものの本質を知らないために出てくるものと言わざるをえません。
 このお話が子どもたちの間に非常に人気があることの理由は、大きく分けて二つあると思います。その第一は、この話が、耳で聞かれて伝承されてきた昔語としての独特な語り口をよく保持していることです。非常に緻密な構成をもっていて、遺憾なくストーリーを楽しめるようにできていることです。第二は、森に捨てられた、貧しい、無力な主人公が、極めて危険な状況に追い込まれながら、最後には自分の知恵で危険を脱出し、幸せな結婚をしたというストーリーにあります。自分を主人公と同一化して話を聞いたり、読んだりする子どもたちにとっては、主人公が苦難ののちに幸せを獲得すること、それが大事なのです。
 少し詳しくみていきます。第一の、独特な語り口という角度からみると、三人の娘が森に捨てられるという状況は、娘たちの孤立性を強く感じさせます。その娘たちが人食い巨人の家で泊めてもらうことになると、人食い巨人にも娘が三人あって、モリーたちは三人のベッドにひとりずつ寝かせてもらいます。昔話はこのように状況を一致させて、早いテンポで話のすじを進めていきます。聞き手は、細かい部分でなく、すじの展開を楽しむことができるのです。
 夜中に人食い巨人は、わらなわを首に巻いている者をベッドから引きずり下ろして、棍棒で殴り殺します。ところが、首のわらなわと金の鎖は、モリーによって取り替えられていたために、殺されたのは人食い巨人の娘でした。現実的に考えれば、いかに取り替えられていたとはいえ、引きずり下ろせば目を覚まして叫ぶだろうし、ひとりが叫べば、みんな目を覚ますだろうと思います。しかし昔話は、そのような現実世界での考え方をさっぱりと捨ててしまっているのです。非写実的文学と言えるし、抽象的文学と言えます。しかもこのとき、血が流れたとか、娘たちが苦しんだとかは、まったく言われていません。つまり、出来事の実体を抜いて語っているのです。中身を抜くと言っていいでしょう。
 ストーリーの展開のために必要な出来事は語るが、その中身は抜いて語るのです。
 「かしこいモリー」の人気の秘密は、語り口にあるということを、実例で述べてきました。次回もこの続きを書いて見ます。


UBBELOHDE:のらくらものの天国の話
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