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昔話の道しるべ 小澤俊夫の昔話エッセイ GUIDEPOST FOR FOLKTALES

第23回 耳で聴く昔話のおもしろさ
 現代の語り手たちが異口同音に言うことは、語り手がしっかり昔話を語れば、子どもたちは必ず聴く、ということです。小学校はもちろん、中学でも高校でも聴きます。半信半疑で語り手を招いて語ってもらったら、本当にそうだったという経験をお持ちの先生もいらっしゃるでしょう。
 では、なぜそんなことが起きるのでしょうか。理論的な面と実際的な面から考えてみます。
 まず理論的な面から言えば、昔話は本来、口で語られ、耳で聴かれてきたので、耳で聴きやすくできています。この独特な語り口については、この連載のはじめの頃に何回か連続して解説しました。主人公や敵対者、それに大道具、小道具を孤立的に語る。同じ場面は同じ言葉で語る。したがって、三回の繰り返しをほとんど同じ言葉で語る。物事や性質を極端に語る。極端に語るが、その中身は抜いて語る。したがって、肉体が切られても決して血が流れることは無い。主人公は、ストーリーの途中ではいろいろな目にあうが、最後には必ず幸せになる。したがって、ストーリーの始めには人からばかにされていたり、怠け者だったり、いじめられていたりする主人公が、いつのまにか知恵を出したり、力をつけたり、不思議な援助者に助けられたりして、ゴールでは幸せを獲得する、などなど。
 このような聴きやすい語り口は、口伝えに伝承されてきた間に、いつのまにか磨きあげられてきたものです。保証付きの語り口なのです。そこには、余計な説明とか、くどい状況描写はありません。心理的描写もありません。お説教もありません。現代のおとな、特に親や教師からみれば、こんなので足りるのかなと思うほど、さっぱりしています。そのほうがいいのです。
 現代の私たちは、文学とか物語というと、すぐに、本に活字で書かれているものと思ってしまいます。いわゆる近代文学は必ず本の中で読まれるので、細かい状況描写でも心理描写でもできます。それに慣れているおとなは、出来事だけを語ってどんどん進んで行く昔話は、なんとなく程度の低い文学と思いがちですが、そうではありません。
 昔話は、さきに述べたような独特な語り口をもっている、高度な抽象的文学です。創作された近代文学とは全く異なる、抽象性という原理にもとづく文学なのです。それは、耳で聴いて分かりやすい文学です。それだから、子どもたちが引き付けられて聴くのです。もう保証付きの語り口をもっているからなのです。
 ただし、昔話といっても、今日ではいろいろに再語されています。もしその再語が、昔話本来の語り口を逸脱して、状況描写をしたり、心理描写をしたり、説教を交えたりしていると、子どもたちは飽きてしまって、ざわざわし始めます。昔話を語って、もし子どもたちが静かに聴かなかったら、それは再話がよくないことが多いのです。あるいは、年齢に合った話でないのかもしれません。子どもが駄目なのだと思う前に、そういう可能性を考えてみて下さい。
 次回は、実際的な面から考えてみます。


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